カブでお遍路

写真はあるお寺の境内にあった石の彫刻作品。地元の作家菅利光作。真ん中に石鎚山系の出っ張りがあり、周囲に四国の海岸線が薄く刻まれているのがお分かりだろうか。そして丸い印はこのお寺の位置。そう、とうとうこのあたりまで私もやってきたのだ。今回は難所の60番横峰寺から65番三角寺までを打った。
いつもの四国フェリーにはいいタイミングで乗れた。7時40分の出港。前回もらった時刻表が役にたった。やはりフェリーの駐車スペースはガラガラ。運行本数を減らしてこうだから、もはや打つ手は無さそうだ。平日だから土日の瀬戸大橋通行料金割引の影響とも言えなさそうだし。これは景気の回復を待つしか手がないのだろうか。
高松市内を抜け、もはや通い慣れた感のある国道11号線をたんたんと走る。ところが新居浜では思わぬものに出くわしてしまった。祭りである。四国三大祭りの一つに数えられる新居浜太鼓祭り。前方で何事かあったのか、時ならぬ渋滞が始まったので停止した車の脇をすり抜けながら前へ出ると、重さ3トンと言われる巨大な神輿が脇道から繰り出してくるところだった。その数7~8台。神様がお乗りになっていらっしゃるものとあってはしかたがない。じっとその通過を待つことにした。威勢のいいお兄さん達がそろいの法被を着て大勢出てきているのでクラクションを鳴らしてせかすような車も無い。しかし本来の祭りの作法からいうと、神が乗ったものを人が担ぐのだから、人は乗ってはいけないのだそうである。担ぎ手が少なくなって、氏子以外の他地域の単なるお祭り好きが多数参加するようになったあたりからしきたりが守られなくなってしまったのだろう。あるいは神様も片目をつぶって見ていらっしゃるのかもしれない。
自動車でお遍路をする場合、目的の寺を捜すのは楽である。各県が出しているのか、国土交通省の管轄になるのかは知らないが、主要な道路には必ず札所の寺を指し示す統一看板が掲示されている。お遍路をするひとはそれに従って車を進めればいいだけの話だ。自然に寺に到達するようになっている。山奥の寺の場合はそうもいかなくて、地元の人達が作った手作りの標識に頼ることになる。このあたりは先人達の苦労が偲ばれて感謝の気持ちが湧いてくる。今回も西条市を過ぎたあたりで横峰寺の標識を見つけて11号線から左折した。
横峰寺は88ヶ所のなかでも難所として必ず名前が挙がる寺である。お遍路の前半に登場する徳島の3ヶ寺、焼山寺、太竜寺、鶴林寺と後半戦で再び登場する徳島の雲辺寺が難所として名高い。わがカブ号は既に前半の3ヶ寺を難なくこなしてきている。さて横峰寺の場合はどうだろうか。横峰寺については私的にちょっとしたセンチメンタルな思い出があって、是非とも訪ねてみたい寺だった。登りの途中で池が現れる。そこから脇道に入るといきなり急な坂道がはじまる。しばらく走ると簡単な小屋かけの料金所がある。料金所のおばさんに訊いてみると、やはり私の思い出に関連する寺はここだということがわかった。どこか88ヶ所の難所の寺のはずだったのだ。林業組合の経営になる有料道路らしいが、お遍路の長い行程の中でも有料道路は初めてだ。林の中をひたすら登ると終点の駐車場に到達した。寺はなんとこの下にあるのだそうである。標高700m。カブを置いて、徒歩で寺に向かって下っていると青大将が出迎えてくれた。
愛媛県のこのあたりの寺は単なる真言宗の寺というだけでなく他の信仰とも結びついているようなものが多い。それは石出寺のようなこの地方独特のお大師さん信仰であったり前神寺のような石鎚山を御神体とあがめる修験道と一体化したものであったりする。明治時代の廃仏毀釈運動以前には寺と神社の明確な線引きはなかったのだ。八十八ヶ所のなかにも地域性があるのが面白い。
61番香園寺は真言宗の独立教団である。高野山にも他の真言宗の分派にも属していない独立独歩の寺なのだ。伽藍自体が超モダン。付属の宿泊施設も豪華ホテルなみだ。しかし単立となるとなかなか大変だろうとよけいな心配をしてしまう。最上稲荷が55年振りに日蓮宗に舞い戻ったというようなことになりはしないのだろうか。若手の僧侶の育成に本山に支援を一切仰げないのだから。
今回で愛媛県内の寺は廻り終えた。次回からは香川県に入る。正確には雲辺寺だけは徳島県に属するのだが。11号線を一路高松目指して帰っていると、背後から追い上げてくるバイクがバックミラーに映った。次の信号で並んでみると、なんとそれは新型スーパーカブではないか。こんなところで遭遇するとは。エンジン、サスペンション、フレームと全く新設計のこの新型に惹かれるものはあるが、現在のところは今の90改に乗り続けるしかない。














