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2009年6月19日 (金)

図書館 Library

Okayama prefectual library won a first prize for three times on anual competition of numbers of visitors and that of lent books.First prize itself shoud be admired,but I have a doubt whether so many great readers live in Okayama prefecture or not. 岡山県立図書館の入館者数と貸出冊数が3年連続で全国一なのだそうである。それ自体はまことにおめでたいことなのだが、私には岡山県民がそんなに読書好きだったとは思えない。この成績にはおおいに疑問を持っているのである。

 お人よしの批評家や県民は「さすが教育県だ」と手放しで喜んでいるだろうし、すぐ隣の県庁にお勤めのお役人も「箱もの行政」のそしりを逃れられてホッと胸をなでおろしているはずだ。

 この数字にウソはないのだろうが、私が俄かにはこの数字を信じる気にならないのには訳がある。去年か一昨年の調査だが、各県別に、その県民が一人あたり費やす年間書籍購入額のランキングではわが岡山県ほ最下位クラスだったのだ。書籍購入額で最下位あたりに低迷する県民が、せっせと県内中心図書館へ通って勉学に励むという図式はどうも解せない。このギャップをどう理解すべきだろうか。

 県内の書店はどこも売上不振に陥っている。そのうえ大消費地の岡山市には郊外型の大型書店の出店が相次ぎ、今や書店戦国時代の様相を呈している。市の中心部に店を構えるM店もK店も撤退を考慮に入れた経営をしているはずだ。ただ、どちらが先に店をしめるかという面子の問題だけだという噂が流れている。どちらも表町周辺に出店したことが今となっては致命傷になっているのだが、今後ますます発展するであろう駅前地区はS店とKe店が橋頭堡を築いてしまっている。

 最近郊外に出店してきた大型店も、蔵書数岡山一を標榜したり売り場面積を自慢したりしてはいるが、集客の目玉は雑誌やCD、DVDの品揃えである。実際に特定のジャンルの本を探して売り場を歩いてみると、無くてはならない基本的な本が並んでいなかったりする。いいかげんな売り場なのだ。

 本を買わない岡山県民に比して、お隣の鳥取県は凄い。全国有数の過疎県の県民が、先に紹介したランキングでトップクラス入りをはたしているのだ。これは何故だろうか。私は鳥取県民の先進性と今井書店と定有堂の啓蒙活動の賜物だと思っている。鳥取県は過疎地ゆえに他地域からの大型書店の進出度合いが低い。岡山と違って地元勢が生き残っているのだ。人口が少ないということは小規模店からの情報発信も県内隅々まで届きやすいということだ。

 定有堂の書棚を見たひとは一様に驚くことだろう。ただしそのひとがある程度本や書店に知識があると仮定しての話だが。なんと売り場が完全にジャンル分けされていて、B6とかの普通の本の中に文庫本が混ざって並べられているのだ。少しでも書店経営や流通関係をかじったひとならすぐに気がつくだろう。商品である本にかなりの知識がないと出来ないことだし、在庫管理が大変なのだ。 県外資本の進出以前にバンザイをしてしまったわが岡山の書店とは大違いである。まったく羨ましい。

 ここにきて書店、出版業界に新たな動きが出てきている。既に丸善を子会社化していた大日本印刷が、今度は古本業界トップのブックオフチェーンの株を大量に取得して傘下に収めてしまったのだ。出版不況に苦しむ大日本からすれば、新刊本をすぐに買い取って安価で売ってしまう大手古本チェーンは目の上のたんこぶだったというわけだ。しかしこの論理にはかなりの飛躍がありはしないだろうか。すくなくとも私にはこじつけのように思える。インターネットの普及の伸長等の影響で紙メディアが衰退したところにこそ原因を求めるべきだと私は思う。ことによっては独占禁止法にも抵触するのではないかと私は考えている。こう複雑化した社会だと、他分野への企業の進出にも当局は目を光らせていなければならないはずだ。

 いずれにせよ、わが国民が本を読まなくなってきていることは明らかだろう。いわゆる活字離れだ。それが遠因にもなっているのか、世界的な児童、生徒の学力テストでもわが国は上位にくい込めなくなっている。ついには漢字が読めない首相が登場する体たらくだ。自民党はアメリカと結託して日本国民の知的レベルを下げることに心血を注いできた。アメリカの狙いが二度と戦争をひきおこさないように日本国民の知的レベルを平均的アメリカ人なみに下げるところにあったのは明白だ。巨大な情報伝達装置であるテレビを通じてだ。戦後60年を経て、ついにはアメリカ人なみのテレビしか見ない国民がみごとにできあがった。その結果がマンガ愛好家の首相の登場なのだから皮肉なものである。

 図書館と通信販売はアメリカのフロンティア開拓の歴史と不可分だと言われる。西へ西へと開拓をくりひろげていったアメリカでは辺境の地に商店が少なく、物品の流通が途絶えがちだった。そんな地域に暮らす人達は不便をかこっていたわけである。書籍の供給もまた同様な状態であったので、図書館の建設が優先されていったのだと伝えられている。このような経緯からアメリカ国民に本を買わない習慣がついたのだと説明されている。牧場の経営者が牛を囲い込むための鉄条網をニューヨークの通販会社から購入、牛の飼育の仕方の本を郡の図書館で読むといった情景を想像してもらえばいいだろうか。

こう見てくると、岡山県人は日本でもっともアメリカ的な県民性を有していると言えるような気もしてくるではないか。図書館で本を借りはするが買わない。岡山県人がケチだというのは昔から有名で、こんな話が残っている。江戸の昔、お江戸の日本橋の上で転んだ男がすぐには立ち上がらないで、路面をしきりに掻きむしっている。通りがかったひとが不審に思って尋ねると、男は「ただ転んだだけではもったいないので何か拾おうと思って」と答えたそうな。「この橋は石で出来ていますから、掻きむしっても何も出てきませんよ。ところで、どちらからおいでになった」と尋ねると男は「備前岡山」と言ったとか。

 図書館の利用にもこの岡山県人の吝嗇さが反映されているのだと決めつけるのは早計かもしれない。新しいもの好きな県民性や外観で他人を判断する傾向が強いこともおおいに影響しているだろう。村上春樹の本を何十冊も購入して貸し出しに当てるといった運営方法が正しいかどうかも含めて、この数字は判断されるべきであろう。貴重な書籍を保存する知の殿堂なのか、はたまた広範な利用者に開放された施設であるべきなのか。図書館を語る時にはいつも蒸し返される論議である。

 

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