
写真はあるお寺の境内にあった石の彫刻作品。地元の作家菅利光作。真ん中に石鎚山系の出っ張りがあり、周囲に四国の海岸線が薄く刻まれているのがお分かりだろうか。そして丸い印はこのお寺の位置。そう、とうとうこのあたりまで私もやってきたのだ。今回は難所の60番横峰寺から65番三角寺までを打った。
いつもの四国フェリーにはいいタイミングで乗れた。7時40分の出港。前回もらった時刻表が役にたった。やはりフェリーの駐車スペースはガラガラ。運行本数を減らしてこうだから、もはや打つ手は無さそうだ。平日だから土日の瀬戸大橋通行料金割引の影響とも言えなさそうだし。これは景気の回復を待つしか手がないのだろうか。
高松市内を抜け、もはや通い慣れた感のある国道11号線をたんたんと走る。ところが新居浜では思わぬものに出くわしてしまった。祭りである。四国三大祭りの一つに数えられる新居浜太鼓祭り。前方で何事かあったのか、時ならぬ渋滞が始まったので停止した車の脇をすり抜けながら前へ出ると、重さ3トンと言われる巨大な神輿が脇道から繰り出してくるところだった。その数7~8台。神様がお乗りになっていらっしゃるものとあってはしかたがない。じっとその通過を待つことにした。威勢のいいお兄さん達がそろいの法被を着て大勢出てきているのでクラクションを鳴らしてせかすような車も無い。しかし本来の祭りの作法からいうと、神が乗ったものを人が担ぐのだから、人は乗ってはいけないのだそうである。担ぎ手が少なくなって、氏子以外の他地域の単なるお祭り好きが多数参加するようになったあたりからしきたりが守られなくなってしまったのだろう。あるいは神様も片目をつぶって見ていらっしゃるのかもしれない。
自動車でお遍路をする場合、目的の寺を捜すのは楽である。各県が出しているのか、国土交通省の管轄になるのかは知らないが、主要な道路には必ず札所の寺を指し示す統一看板が掲示されている。お遍路をするひとはそれに従って車を進めればいいだけの話だ。自然に寺に到達するようになっている。山奥の寺の場合はそうもいかなくて、地元の人達が作った手作りの標識に頼ることになる。このあたりは先人達の苦労が偲ばれて感謝の気持ちが湧いてくる。今回も西条市を過ぎたあたりで横峰寺の標識を見つけて11号線から左折した。
横峰寺は88ヶ所のなかでも難所として必ず名前が挙がる寺である。お遍路の前半に登場する徳島の3ヶ寺、焼山寺、太竜寺、鶴林寺と後半戦で再び登場する徳島の雲辺寺が難所として名高い。わがカブ号は既に前半の3ヶ寺を難なくこなしてきている。さて横峰寺の場合はどうだろうか。横峰寺については私的にちょっとしたセンチメンタルな思い出があって、是非とも訪ねてみたい寺だった。登りの途中で池が現れる。そこから脇道に入るといきなり急な坂道がはじまる。しばらく走ると簡単な小屋かけの料金所がある。料金所のおばさんに訊いてみると、やはり私の思い出に関連する寺はここだということがわかった。どこか88ヶ所の難所の寺のはずだったのだ。林業組合の経営になる有料道路らしいが、お遍路の長い行程の中でも有料道路は初めてだ。林の中をひたすら登ると終点の駐車場に到達した。寺はなんとこの下にあるのだそうである。標高700m。カブを置いて、徒歩で寺に向かって下っていると青大将が出迎えてくれた。
愛媛県のこのあたりの寺は単なる真言宗の寺というだけでなく他の信仰とも結びついているようなものが多い。それは石出寺のようなこの地方独特のお大師さん信仰であったり前神寺のような石鎚山を御神体とあがめる修験道と一体化したものであったりする。明治時代の廃仏毀釈運動以前には寺と神社の明確な線引きはなかったのだ。八十八ヶ所のなかにも地域性があるのが面白い。
61番香園寺は真言宗の独立教団である。高野山にも他の真言宗の分派にも属していない独立独歩の寺なのだ。伽藍自体が超モダン。付属の宿泊施設も豪華ホテルなみだ。しかし単立となるとなかなか大変だろうとよけいな心配をしてしまう。最上稲荷が55年振りに日蓮宗に舞い戻ったというようなことになりはしないのだろうか。若手の僧侶の育成に本山に支援を一切仰げないのだから。
今回で愛媛県内の寺は廻り終えた。次回からは香川県に入る。正確には雲辺寺だけは徳島県に属するのだが。11号線を一路高松目指して帰っていると、背後から追い上げてくるバイクがバックミラーに映った。次の信号で並んでみると、なんとそれは新型スーパーカブではないか。こんなところで遭遇するとは。エンジン、サスペンション、フレームと全く新設計のこの新型に惹かれるものはあるが、現在のところは今の90改に乗り続けるしかない。

このところ缶コーヒー市場は微糖分野が主戦場なのだそうである。アサヒ飲料のワンダシリーズや日本コカコーラのジョージアに微糖のものが続々と登場している。この傾向は昨年あたりから顕著だが、今年はまた夏が冷夏で売り上げが伸びなかったのを微糖で取り戻そうという各飲料メーカーの動きが激しい。しかしなぜ今微糖なのか。紙パックやペットボトルの分野でも同じ微糖シフトの様相を呈している。これはコーヒーだけの話にとどまらず、すべての加工食品が甘くなっているのではないかと私は疑っている。
最近、家でおでんを作ると、べつに甘みを加えているわけでもないのに妙に甘くしあがる。またベーコンの入ったスパゲッティカルボナーラやオムレツを作るとこれまた奇妙な甘さが舌に感じられる。これはいったい何なんだと思いつつも、しばらくは原因がわからなかった。しかし最近になってやっとその原因が私にもわかってきた。材料に問題があるんだと。おでんならごぼう天とかの水産練り製品、オムレツならベーコンを疑わないといけない。これらすべてに生産段階で甘みが加えられており、調理の際に安っぽい甘みが出てくるのだ。事実これらの食材の成分表示にはたいていステビア等の甘味料が書かれている。
よくもやりやがったな、いらぬお世話だというのが私の見解だ。いつからこんなことになってしまったのか。味覚の幼児化に他ならないではないか。売れるためには何でもするというのがナショナルブランドの戦術だからしかたないのであろうか。本物の味が欲しければよそで買えとでも言う仕打ちだ。
最近、明石の魚の棚商店街で買い物をした。余談ではあるが棚はもともと店という字だったと思う。ここで買った水産練り製品はどれも甘くはなかった。本当の味を求めるのなら明石まで行けというのでは残酷ではないだろうか。微糖への傾斜をやめて食品本来の味にナショナルブランドのメーカーが舵を切らなくてはいけない。簡単に考えてはいけない。彼らのやっていることはわが国の食文化の破壊なのだ。
あらゆる食品に含まれている甘味に監視の眼を注がなければならない。ごくごく大衆の方は既に騙されてしまっているから、その安っぽい甘みに気がついていない。まわりじゅうが微糖だらけなのに「甘さ控えめのケーキじゃないと嫌」というひとが多いというあたりに一般人の味覚に対する鈍感さが現れているのではないだろうか。

今回のお遍路は今治市周辺になった。前回は酷暑のなか松山市界隈の寺を回った。暑さはその時ほどではないものの、日中はライダースウエアを脱いでシャツ姿で走ることになってしまった。今までのお遍路では往復とも宇野と高松を結ぶフェリーを利用していた。もはや死語となりかけた感のある宇高連絡船だ。しかし今回だけは違うルートを取った。しまなみ海道である。次回からもこのルートを使うことは無さそうだから、長いお遍路の中でも唯一の選択となる。
実はこのルート、8年ほど前に渡ったことがある。当時の写真をひっぱり出してみると、カブのリヤサスペンションがノーマルのままだから新車に近い頃だったということがわかる。その頃はまだお遍路を開始していなかったので、今治、高松間をひたすら走って帰ってきただけだった。こうしてみると目的のある旅はいい。こんなにも濃い旅ができるのかと改めて思ってしまう。
出発は6時半。国道2号線をひたすら西へ尾道まで走らなければいけない。高梁川を渡ってからしばらくは路側帯の幅が狭く危険だ。高架部分なので逃げようがないので、速度の速いトラック等に追い上げられる格好になるとヒヤッとする。この部分ともうひとつ丸亀、高松間を考えただけでもKSR2を選択したくなる。しかしそれでは「カブでお遍路」という大前提が成り立たなくなってしまう。これを4輪車にたとえれば、ポルシェとヴィッツを所有しているひとがヴィッツで高速走行させられるようなものだ。まあしかしここは我慢しよう。長時間乗って楽なのはカブのほうなのだからと自分を納得させるしかない。
2号線を走っていると尾道の手前で自然にしまなみ海道に入っていく。前回はこれを入ってしまってひどい目にあった。なんだか車の流れがいやに速くなったなと思っていると前方に料金所が現れた。「誤進入、誤進入」と連呼する係員に「ちゃんと原付進入禁止と大きく書いておけ」と抗議すると「そこの広島県警高速隊の詰め所に行ってくれ」という返事が返ってきた。客を客とも思わない発言に腹が立ったが、状況からして逃げたが勝ちと踏んで下の道へ降りた。だいたい高速道路のあちこちに警察の運用するNシステムを張り巡らせてお客さんの顔写真と車のナンバーを撮りまくることを許している道路会社である。そんな失礼なことをするのなら各入り口に「お客様の顔写真を無断で撮りますが、よろしかったらお入りください」と書いておくべきではなかろうか。
それはさておき今回は分岐点できちんと降りられた。一度尾道市内へ入り、向島へ渡る。そこから因島へ渡るしまなみ海道の側道へ進入するというややこしい手続きが要るのだ。ここからは大三島、生口島、伯方島等の島々を渡っていくのだが、側道を走る原付バイク、自転車、歩行者は島ごとに下の道に降りなければいけない。これが意外とやっかいなうえに次の入り口がなかなか見つからない。すべての橋を渡って四国へ行くような馬鹿者はいないだろうとの前提に立っているようだ。それはそうだろう。こんな巨大プロジェクトを考え出す旧建設省の高級官僚はいつも運転手つきのクラウンでどこへでもお出かけだから。
連休が開けた日だったのでまだそのなごりの自転車ツアー客が大勢走っている。原付バイク用の道は狭い。地元のひとの利用が多いが、なかには私のようなツーリング派もいる。最後にして最長の来島海峡大橋で釣竿を斜めに背負った釣り人に追いついた時には困った。抜こうに抜けない。このしまなみ海道最長の橋をずっとこのオヤジの後をついて走っていくのかと思うと嫌になってホーンを鳴らしてどけてもらった。
今治の街なかで少々道を間違えたので54番よりも先に55番南光坊に着いてしまった。この寺は大三島の大山祇神社に付属した寺だった経緯があり、88ケ所の中で唯一名前に寺が付いていない。江戸中期の古地図にも別宮と書かれているだけだ。逆打ちになるが北上して延命寺をめざす。さてこのあたりでいい時間になってきたので昼食を取らないといけないと思いながら走っていると道沿いに長崎チャンポンの看板が現れた。好物を見逃す手はないので、お昼はここと決めた。なにを隠そう私はこの魚介類が入った麺には眼がないほうで、東京で暮らしていた頃は有楽町の交通会館地下の店まで時折食べに行っていたほどだ。この今治の店はもう少し具だくさんであればよかったが、そこそこの味はだしていた。このたび回った寺は特に印象に残るものは無かったが、仙遊寺からの眺めはよかったとだけ記しておこう。標高300mの山の上からは瀬戸内海に浮かぶ島まで見えた。
さて今回のお遍路にはもうひとつの目的があった。それは松山市のバイクハウスアベというサイドカーメーカーを訪ねるというものである。国内には数多くのサイドカーメーカーが存在するが、そのなかでもアベの技術力は抜きん出ている。特にフロントサスペンションのハブステア化に見せる技には私は以前から注目している。サイドカーというものはフロントをハブステア化するとその操縦性はグンとよくなるものらしい。らしいというのはわたし自身にそれほどサイドカーの運転の経験がないからなのだが。ハブステアまで行かないもののアベ製のアールズフォークの付いたサイドカーに乗っている友人も「ほとんど体重移動も要らない。ハンドルを切ったら曲がっていく」と証言している。
山越えルートにしようか、それとも海岸線を行こうかと迷ったが、結局山越えで行くことに決めた。途中で警察の検問にかかったりはしたが、一時間もかからないうちに道後に着いてしまった。目指すバイクハウスアベは観光港の近くにあるらしいので、市の北部の並木道を西進する。このあたりは勘だけが頼りだ。40年近く全国を放浪していライダーにナビは必要ないのである。途中アイスコーヒーが飲みたくなったのと地図を確認するために喫茶店に入った。市電通りとの交差点に駐車場付きの喫茶店。こんな贅沢なことができるのは土地の所有者以外には考えられない。案の定、二階にあるその店の家具は重厚なムク材だった。オーナーと思しき中年の女性は私一人のためにビートルズをかけてくれた。
バイクハウスアベは想像していたよりは広い店だった。連休明けのせいか広大な工場は閑散としている。一人がフレームの組み立てか何かの作業をしているが、遠くてわからない。駐車場には昨年の走行会で見かけたサイドカーやハーレーが数台展示してある。ショップのほうに回ってみた。やはりハーレーグッズやウエア類が沢山展示してある。どうやらこの店の経営を底支えしているのは最近販売好調なハーレーであるらしいことが分ってきた。喫茶コーナーまであって、店主はお客さんと歓談中あるいは取引業者と商談中だった。女性スタッフに声をかけられたが、とりたてて買うものもないので返事に困った。カブのような小排気量車に役立ちそうなものは何も無いし、ハーレーグッズにはさらさら興味は無い。ハーレーに偏見は無いが日本の風土には似合わない気がする。なんだかブッシュの前でプレスリーの物まねをしたどこか極東の島国の首相と同じ志向性を嗅ぎ取ってしまうのだ。カブで岡山からわざわざ来たんだぞと言っても通じる相手ではなさそうなので、そそくさと店を出て、またカブにまたがった。私とカブでの旅はいつもこうだ。ほとんど旅先での会話は無い。好んで孤独を求めているわけではないが、出会いを期待しているのでもないのだ。
いつもお遍路に使っているカブばかりに乗っていると、たまにはブッ飛ばしたくなる。そういう時には納屋の中でカブより奥に眠っているカワサキKSR2を引っ張りだす。今日はオヤジ向けの地元誌オセラに載っていた新庄村のがいせん桜通りを見に行くことに決めた。
KSR2は絶滅危惧種の2サイクルエンジンを搭載した小型バイクである。ちょっと見にはそのへんのお買い物バイクと変わらないのだが、不用意にアクセルを捻ると大変、たちまち棹立ち状態になってしまうという力持ちだ。信号グランプリでは1000cc級をカモれる。しかし今回は燃費テストも兼ねているので、あまりアクセルを開けないつもりだ。同じバイクを持っているひとが蒜山往復でリッター30kmまで伸びたというのを聞いたからである。さて私の乗り方でどこまで伸びるだろうか。
出発が遅くなってしまったので、まずは腹ごしらえから。53号線で山陽自動車道の下をくぐってしばらく走ると左手に「鳴子屋」の看板が見えてくる。冷やしうどんの大を注文したが、これは失敗だった。そのあとバイクで走行すると、胃の中の未消化のうどんが重荷になってくる。今度からはもう少し軽いものにしよう。53号を北上、川口の分岐で左に取り、旭川沿いに落合をめざす。
KSR2に乗るたびに感じる。タンクを脚で挟めるということがいかに二輪車の操作に重要なファクターであるかを。私はこれまで20数年間脚で挟めないバイクに乗ってきた。スクーターに17年、そのあとはカブだ。この手のバイクでコーナーを曲がるのは一種のコツが要る。膝でガソリンタンクをひっかけて倒し込めないので、回転方向の内側のステップに乗せた足に力をかけるかハンドルを押さえ込むしかない。オートマチックのスクーターの場合はもっと悲惨で、コーナーでギヤを選べない。車におまかせでコーナーに突っ込んでいくしかないのである。その点KSR2は素晴らしい。次のコーナーは3速で回ろうと思えば3速にシフトダウン、グイッと倒しこむことができる。
以前この道を走っていた時に白バイとすれ違ったことがある。その白バイ隊員は女性だったのが一瞬見てとれた。悪い癖だとは思うのだが、白バイを見るとちょいとからかってやりたくなる。若い頃に東京の青梅街道で速度違反になるスピードで走っている白バイ隊の後を追い上げてやった時は面白かった。停止を命じられたが、向こうには違反キップを切る証拠がないのだからどうしようもない。緊急の場合でもないのに速度違反をしている警察官のほうが悪いに決まっているではないか。
もしもこの旭川沿いの道で白バイをからかったらどうなるだろうかと考えた。きついコーナーの連続だし道幅も狭い。白バイに使っているCB1300のような巨体には苦手な状況のはずだ。意外にKSR2だと逃げきれるのではないかと。車体も軽いし、2サイクルだからコーナーからの立ち上がりも速い。でもそれは一瞬の甘い夢で、練習量が違うし、直線で追い抜かれてしまうだろうと考えなおした。しかしそれもどうだろうか、最近出てきたピアッジョ製の三輪車だったら。あれはまず転ばないのだから。常識では考えられないくらいのスピードでコーナーに突っ込んでいけるらしい。ピアッジョのサイトの動画を見て驚いた。あの鈍重そうな見かけとは裏腹に、同じ排気量の二輪車よりも速いのだ。
白バイをからかう話をしておきながら矛盾するようだが、この三輪車を白バイとして採用してはどうかと私は考えている。白バイ隊員の勤務はかなりハードだ。昨年だったか、岡山県でも暴走行為をしている二人乗りのバイクを追跡していた白バイ隊員がトラックにはねられて死亡している。警察幹部はあまりにも追跡、検挙ということに捉われすぎてはいないだろうか。私はこういった古臭い交通取締りに以前から疑問を持っている。少しでもスピードが出るマシンで追いかけて検挙する。それもいいだろうが、隊員の安全を考えるなら、より安定した走行のできるマシンへの移行も考慮すべきではないだろうか。そして無線等の近代装備を活用して深追いをしないことが肝要だ。市民の安全を守るためには何をなすべきかという目標を見失って、取締りの成績をあげることが自己目的化しているとしか思えない。白バイ隊員にサーカスまがいの訓練を課す愚は早く改めなくてはならない。転倒の危険性がほとんど無く、ブレーキが4輪車なみに効く三輪車の導入を考慮すべきと提案したい。
旭川沿いの道を抜けると落合だ。大型店の立ち並ぶ道を北上すると勝山に出る。ここに来ると御前酒の久保本店には必ず立ち寄る。生憎、連休の後の代休で西蔵のレストランと喫茶は閉まっていたが、酒は買えた。いつも思うのだが、ここで買うとワンランク上の酒が壜の中に入っているようだ。気のせいだろうか。時ならぬ焼酎ブームのせいで日本酒メーカーはどこも大変のようだが、岡山の地酒にも頑張ってもらいたいものだ。
で、目的地の新庄村のがいせん桜通りはどうだったかというと、ただの昔の街道町のなごりが残った通りだった。昔は賑わったのだろうが、街道の両側は商店だったはずだが、今はすっかり寂れて、ひとが住むだけになっている。こういう光景を見るたびに高度成長とか流通革命という言葉が空々しく思えてくる。ひとつスーパーマーケットが出来るたびに百軒の個人商店が潰れ、山奥の集落でもコーラやウーロン茶が飲まれるようになる。田舎のおやじ達の趣味がゴルフだというのだから、開いた口がふさがらない。画一化した社会。文明の害毒をタレ流すテレビ等のメディアをなんとかしなければならない。そんなことを考えながら、旭川沿いに帰った。
What happened on this ferryboat. Vacant traffic parking space! Is this a bad influence of reducing of highway passage toll?
ひさびさにお遍路を再開した。カブのチェーン張りやら天候不順やらで延びのびになっていたのだ。例によって5時起きの6時出発をめざすが、手際の悪さもあって実際の出発は7時近くになってしまった。宇野港までひと走り、8時40分発のフェリーにすべりこむ。それにしてもこの駐車スペースのガラガラさ加減はなんだ。これではフェリー会社は存亡の危機だろう。
今回も雨対策だけは怠りない。雨合羽は言うに及ばず、ゴム長靴まで積み込んだ。今回は松山市周辺の八ケ寺をまわらないといけない。次回は今治周辺なので、ひとつでも残ると大変なのだ。チェーンを新品に交換して出てきたので走りが気持ちいい。
バイクの走行距離が伸びるとチェーンも伸びてくる。伸びきったチェーンがどうなるかというとこれがやっかいで、ホイールバランスの不良等に影響されて硬い部分と軟らかい部分が出来てくる。普通のバイクにはチェーンケースは付いていないのだが、カブには付いていて、チェーンがそれに擦れてジャラジャラという音をたてるようになる。このたびチェーンを換えたことによってどういう影響が出ただろうか。チェーンのジャラジャラいう音が消えたことはもちろんだが、バイクの挙動がリニアになった気がする。おおげさに言えばアクセルと後輪がつながったような感覚。
最近はドライブチェーンの代わりにゴムベルトを使うバイクも増えている。BMWやハーレーがその代表だ。このゴムベルトは内部にNASAで開発されたケブラー繊維を編みこんであるので殆ど伸びない。チェーンのようにジャラジャラ音はしないし、いいことずくめなのだがひとつだけ欠点がある。それは価格が高いということだ。一本6万円ほどする。これでは一般庶民用のカブには採用されないわけだ。
新居浜のマックで休憩した。暑くてたまらないし、ここいらあたりでお腹に何かいれておかないといけないと思ったからだ。この店には前回も立ち寄っている。コーヒー屋の主人がマックで昼食というのはなんとも奇矯な行動のようだが、私にとってはごく自然なのだ。究極に削ぎ落とした旅にマックはふさわしいし、コーヒーもそこそこ飲める。ええっ、マックのコーヒーが?という声が聞こえてきそうだが、それは先入観にとらわれすぎている。首都圏でドトールと死闘をくりひろげている店のコーヒーがまずかろうはずはないではないか。もうひとつ言わせてもらえば、私はコーヒーの味ではモスバーガーへ行かない。ハンバーガーそのものの味はマックよりは上を行くと思うが、いかんせんコーヒーがエスプレッソなのだ。スタバの追撃があるにも拘らずマックがペーパーフィルターを捨てないのはひとつの見識として私は評価している。
46番浄瑠璃寺に着いたのは午後1時半だった。これから八ケ寺を回らないといけないのだが、時間は大丈夫なのだろうかと少々不安になってくるが、始めた以上しかたがない。この寺には立派な蓮池があったので蓮の花の写真を撮らせてもらった。池の上に浮かぶようなお宮さんも有ったのだが、これは確か後に回った石出寺にも有ったはずだ。なにかこの地方特有の民間信仰と関係しているのだろうかと気になった。
今回の遍路中の白眉はなんと言っても石出寺だろう。道後温泉に隣接するという好立地のうえに八十八ケ所のなかでも名刹として知られる寺なのだ。だが私が評価するのはそういった所謂下世話の意味からではない。ここの現住職が反戦平和の活動家なのである。石出寺はこの地方のお大師信仰の中心地であり、江戸時代には数十もの末寺を擁していた。土産物屋の並ぶ参道を通って境内に入ると立看板だらけ。「イラクでの戦闘をやめよ」とか「四川省大地震に義捐金を」とか。和尚自身が地震の被災地に出かけたり、松山市内で反戦を呼びかけて座り込みをしたりするらしい。
普通こんなリッチな寺の和尚はこういった活動はしない。寺の経営に忙殺されて。「ロータリークラブで忙しくて」という和尚もいるだろう。そういう意味でもこの石出寺の住職の生きかたのは共感を覚えた。寺として本来なすべきことをやっている。それも自然に。様々な活動を綴ったパンフレットを集めていると和尚と眼が合った。ヘルメットを脱いだこちらの頭を見て、同業者とまちがえたのかもしれない。もともと私は僧職と思われることが多い。比叡山でもそうだったし、出雲のある寺でお庭を拝見していたら、お茶とお菓子が出てきた。否定してもその寺の住職は「隠されても判ります」と言う。
朝日新聞で興味深い記事を読んだことを思い出した。高野山金剛峰寺の座主に記者が映画「おくりびと」を見ての感想を聞いた記事だった。さすがに座主ともなると我々常人が同じ映画を見て抱くのとはまったく違う感想を述べていらっしゃった。葬式の主役は坊主で、その坊主が死者を「あの世」の送り出して成仏させているのに、あの映画では、本来脇役であるはずの納棺師にスポットライトが当たっている。しかもそれが若い世代に共感を持って受け入れられている。座主はこうしたことにおおいに衝撃を受けたとおっしゃるのだ。葬式宗教に成り果てているという世間からの冷たい眼もあるなかで、その葬式の場でももはや主役たり得ないのかという悲しさまで感じたと。
さらに座主は最近ヒットした「千の風になって」という歌にも言及なさっている。歌詞のなかで、死んだ人の魂までが消滅したわけではない、私達のまわりを飛び回っているんだという内容に異議を唱えられている。これは明らかに迷信に属するもので、仏教の考え方に反している。死者の魂が空を飛び回っているのでは、何のために弔ったのか、また成仏させたのかわからないではないかとも。
こういった俗信がはびこる風潮の根底には世間一般の坊主の活動不足や佛教界全体の教化活動への怠慢があるはずなので、おおいに反省しなければならないと座主はおっしゃっている。私はこのインタビュー記事を読んだ時、いささか衝撃を受けた。座主に指摘されるまであの映画を「面白い視点から葬式を撮ったな」くらいに好感を持って捉えていた自分が恥ずかしくなった。カルトとか迷信にはそれなりに警戒心を持っていたはずの自分もまた、知らず知らずのうちに毒されていたわけだ。
石出寺は私にとって再訪しなければならない寺になってしまった。
京都、岡崎公園内のみやこめっせで開催中のLOVE CUB 50という催しの会場へカブで乗りつけたらおもしろいだろうと思った。この催しは自動車や趣味に関する書籍を多数出版、販売しているネコ パブリッシングが主催しているもので、東京会場に続いて京都でもこの11日から開かれているものだ。ホンダのスーパーカブが誕生して50年になるのを記念するイベントで、各界の名士が独自にペイントをほどこしたり、改造したカブが50台されているのだそうだ。
この会場へカブで乗りつけたら、遠くからようこそというわけで何かいいことがありそうな気もした。例えば記念品を貰えるとかカーマガジン誌に写真が掲載されるとか。行こうか行くまいか、直前まで悩んでいたのだが今回は中止した。それを後押ししたのは前日から日本全土を襲った強烈な暑さだった。しかしそれ以外にも理由はあって、カブの不調もそのひとつだった。ドライブチェーンが伸びきっていたのだ。
このところ走行中に異音が発生していた。それは明らかにチェーンとチェーンカバーが擦れる音だった。もう調整代が無いほどに伸びきっていたのだ。これを直してからでないと安心して遠出はできない。二輪車のドライブチェーンは走行距離がかさむと、それにつれて伸びてくる。そのうえホイールバランスなどの影響で硬いところと軟らかいところが出来てくるからやっかいだ。軟らかい部分にあわせてチェーンを張れば、硬い部分では張りすぎることになる。
工具が足らないことに気づいてバイク屋さんにやってもらったのだが、治ってきたカブに乗ってみて驚いた。新車の感覚が甦っていたのだ。アクセル開度に応じたスピードの乗り具合がリニアになっている。この日はバイクの修理に専念。カワサキKSRも錆びたままだったハンドルの再塗装をした。
Okayama prefectual library won a first prize for three times on anual competition of numbers of visitors and that of lent books.First prize itself shoud be admired,but I have a doubt whether so many great readers live in Okayama prefecture or not. 岡山県立図書館の入館者数と貸出冊数が3年連続で全国一なのだそうである。それ自体はまことにおめでたいことなのだが、私には岡山県民がそんなに読書好きだったとは思えない。この成績にはおおいに疑問を持っているのである。
お人よしの批評家や県民は「さすが教育県だ」と手放しで喜んでいるだろうし、すぐ隣の県庁にお勤めのお役人も「箱もの行政」のそしりを逃れられてホッと胸をなでおろしているはずだ。
この数字にウソはないのだろうが、私が俄かにはこの数字を信じる気にならないのには訳がある。去年か一昨年の調査だが、各県別に、その県民が一人あたり費やす年間書籍購入額のランキングではわが岡山県ほ最下位クラスだったのだ。書籍購入額で最下位あたりに低迷する県民が、せっせと県内中心図書館へ通って勉学に励むという図式はどうも解せない。このギャップをどう理解すべきだろうか。
県内の書店はどこも売上不振に陥っている。そのうえ大消費地の岡山市には郊外型の大型書店の出店が相次ぎ、今や書店戦国時代の様相を呈している。市の中心部に店を構えるM店もK店も撤退を考慮に入れた経営をしているはずだ。ただ、どちらが先に店をしめるかという面子の問題だけだという噂が流れている。どちらも表町周辺に出店したことが今となっては致命傷になっているのだが、今後ますます発展するであろう駅前地区はS店とKe店が橋頭堡を築いてしまっている。
最近郊外に出店してきた大型店も、蔵書数岡山一を標榜したり売り場面積を自慢したりしてはいるが、集客の目玉は雑誌やCD、DVDの品揃えである。実際に特定のジャンルの本を探して売り場を歩いてみると、無くてはならない基本的な本が並んでいなかったりする。いいかげんな売り場なのだ。
本を買わない岡山県民に比して、お隣の鳥取県は凄い。全国有数の過疎県の県民が、先に紹介したランキングでトップクラス入りをはたしているのだ。これは何故だろうか。私は鳥取県民の先進性と今井書店と定有堂の啓蒙活動の賜物だと思っている。鳥取県は過疎地ゆえに他地域からの大型書店の進出度合いが低い。岡山と違って地元勢が生き残っているのだ。人口が少ないということは小規模店からの情報発信も県内隅々まで届きやすいということだ。
定有堂の書棚を見たひとは一様に驚くことだろう。ただしそのひとがある程度本や書店に知識があると仮定しての話だが。なんと売り場が完全にジャンル分けされていて、B6とかの普通の本の中に文庫本が混ざって並べられているのだ。少しでも書店経営や流通関係をかじったひとならすぐに気がつくだろう。商品である本にかなりの知識がないと出来ないことだし、在庫管理が大変なのだ。 県外資本の進出以前にバンザイをしてしまったわが岡山の書店とは大違いである。まったく羨ましい。
ここにきて書店、出版業界に新たな動きが出てきている。既に丸善を子会社化していた大日本印刷が、今度は古本業界トップのブックオフチェーンの株を大量に取得して傘下に収めてしまったのだ。出版不況に苦しむ大日本からすれば、新刊本をすぐに買い取って安価で売ってしまう大手古本チェーンは目の上のたんこぶだったというわけだ。しかしこの論理にはかなりの飛躍がありはしないだろうか。すくなくとも私にはこじつけのように思える。インターネットの普及の伸長等の影響で紙メディアが衰退したところにこそ原因を求めるべきだと私は思う。ことによっては独占禁止法にも抵触するのではないかと私は考えている。こう複雑化した社会だと、他分野への企業の進出にも当局は目を光らせていなければならないはずだ。
いずれにせよ、わが国民が本を読まなくなってきていることは明らかだろう。いわゆる活字離れだ。それが遠因にもなっているのか、世界的な児童、生徒の学力テストでもわが国は上位にくい込めなくなっている。ついには漢字が読めない首相が登場する体たらくだ。自民党はアメリカと結託して日本国民の知的レベルを下げることに心血を注いできた。アメリカの狙いが二度と戦争をひきおこさないように日本国民の知的レベルを平均的アメリカ人なみに下げるところにあったのは明白だ。巨大な情報伝達装置であるテレビを通じてだ。戦後60年を経て、ついにはアメリカ人なみのテレビしか見ない国民がみごとにできあがった。その結果がマンガ愛好家の首相の登場なのだから皮肉なものである。
図書館と通信販売はアメリカのフロンティア開拓の歴史と不可分だと言われる。西へ西へと開拓をくりひろげていったアメリカでは辺境の地に商店が少なく、物品の流通が途絶えがちだった。そんな地域に暮らす人達は不便をかこっていたわけである。書籍の供給もまた同様な状態であったので、図書館の建設が優先されていったのだと伝えられている。このような経緯からアメリカ国民に本を買わない習慣がついたのだと説明されている。牧場の経営者が牛を囲い込むための鉄条網をニューヨークの通販会社から購入、牛の飼育の仕方の本を郡の図書館で読むといった情景を想像してもらえばいいだろうか。
こう見てくると、岡山県人は日本でもっともアメリカ的な県民性を有していると言えるような気もしてくるではないか。図書館で本を借りはするが買わない。岡山県人がケチだというのは昔から有名で、こんな話が残っている。江戸の昔、お江戸の日本橋の上で転んだ男がすぐには立ち上がらないで、路面をしきりに掻きむしっている。通りがかったひとが不審に思って尋ねると、男は「ただ転んだだけではもったいないので何か拾おうと思って」と答えたそうな。「この橋は石で出来ていますから、掻きむしっても何も出てきませんよ。ところで、どちらからおいでになった」と尋ねると男は「備前岡山」と言ったとか。
図書館の利用にもこの岡山県人の吝嗇さが反映されているのだと決めつけるのは早計かもしれない。新しいもの好きな県民性や外観で他人を判断する傾向が強いこともおおいに影響しているだろう。村上春樹の本を何十冊も購入して貸し出しに当てるといった運営方法が正しいかどうかも含めて、この数字は判断されるべきであろう。貴重な書籍を保存する知の殿堂なのか、はたまた広範な利用者に開放された施設であるべきなのか。図書館を語る時にはいつも蒸し返される論議である。